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闘病 8人家族が結束 / 妻を寂しがらせない

  片山善博さん「ケアノート」
                闘病 8人家族が結束/妻を寂しがらせない
                              (読売新聞 平成21年12月13日)

前鳥取県知事で慶応大教授の片山善博さん(58)は今年7月、妻の弘子さんを悪性リンパ腫で亡くしました。57歳の若さでした。10年間病気と闘った妻を、片山さんはそばで励まし、最期の4か月間は6人の子どもとともに介助と介護に努めました。「お母さんを寂しがらせないように」。それが家族の合言葉でした。

 妻の病気がわかったのは、知事に就任して半年後の1999年秋。目の下のできものを県立病院で診察してもらうと、悪性リンパ腫と診断されました。“血液のがん”とも呼ばれる病気で、主治医からは「進行は遅いが、治癒は難しい。平均余命は7年」と説明されました。

 妻は動揺して泣き崩れました。私もショックでしたが、「僕だって余命宣告されていないだけで、人生に終わりがあることに変わりない。お互いに残された時間を精いっぱい生きよう」と話すと、妻も「気が楽になった」と言ってくれました。


二人は岡山県の県立高校の同級生。24歳で結婚し、4男2女をもうけた。自治省(当時)の官僚だった片山さんは仕事柄、転勤が多かった。弘子さんは知らない土地で子育てに追われながらも、「天真らんまん」な性格から、PTAの役員を引き受けたり、市民活動に取り組んだりして、どこでも地域に溶け込んだ。

 ふだんは経過観察し、腫瘍(しゅよう)ができたら通院して、手術や放射線治療で取り除くという対症療法。心身に負担をかけないよう、のんびりと過ごすのがいいのですが、何でも自分でやらないと気が済まない妻にはそれが逆にストレスになる。日常生活は大きく変えず、妻は「風邪を引かない」「過労は避ける」を心がけ、私は、夫婦げんかにならないよう、言いたいことも少しは我慢しました。

 妻は同じ病院の血液疾患患者の集まりを大切にしていました。近づく死への恐怖感を共有し、励まし合える仲間だったのだと思います。ただ、その仲間が一人また一人と亡くなっていく度に涙を流していました。


発病から6年ほどして始めた抗がん剤の効果もあり、生活に支障はなかった。それが昨年秋ごろから症状が悪化、今年2月には主治医から「抗がん剤が効かなくなった。もはや打つ手がない」と言われた。夫婦はわずかな望みをかけ、4月に東京の病院に入院。別の抗がん剤治療を受けた。

 東京には、家庭を持つ次女と社会人の次男、大学生の三男と四男がいて、仕事や授業の合間に入れ代わり立ち代わり病室に来てくれた。そして「お母さんは今日は元気がなかった」「足をもんだら喜んでくれた」などと、妻の様子を家族全員にメールで報告するんです。一人が「お母さん、今日は立てなかった」と落ち込んでいた時は、ほかの子が「きっと疲れていただけで、寝たら治るよ」と返信していました。こうしたやりとりが看病中の家族の心のケアにもなったと思います。


治療効果は思うように表れず、6月には妻の希望で鳥取の自宅に戻った。


 妻が訪問介護の利用を嫌がったので、私と、同居の長女、仕事を休んで里帰りをしてくれた次女が中心となり、家族だけで介護しました。社会福祉士の資格を持つ長女に介助技術を教わり、トイレに連れていったり、抱きかかえるように風呂に入れたり。妻は私より背が高かったので大変でしたが、「お父さんだから安心できる」と言ってくれたので、苦にはならなかった。

 講演や取材など、断れる仕事は断ったものの、大学の授業で火〜木曜日は鳥取を離れざるをえない。介護計画表を作って長野にいる長男を含めた息子4人にメールで送り、都合のつく日に印を付けて返信してもらう方式で介護を割り振りました。妻が「息子にはしてほしくない」と嫌がった入浴の介助以外は私が留守の間よくやってくれた。「子どもをたくさん産んでいてよかったね」と夫婦で話しました。


7月16日、弘子さんは高熱にうなされて緊急入院。翌日未明、家族に見守られて息を引き取った。


 2007年に知事3期目に挑戦しなかったのは「一人が権力の座に長くいない方がいい」という持論もありますが、妻の病気が理由になかったと言えば、うそになる。妻が亡くなるまでの2年余りは、それまでより一緒にいる時間が長い、貴重な日々でした。

 妻の介護を通して見えたものは多い。例えば仕事でバリアフリーに積極的に取り組みましたが、実際に車いすを押す立場になると、長患いで筋肉が落ちた人にはわずかな段差による振動も負担になっていることがわかりました。

 「もう十分に頑張ってくれた。頑張らないでいいよ」と妻を見送りました。でも、もし生きていたら「あんただって頑張りすぎじゃない」と言い返されそうですけどね。



かたやま・よしひろ 慶応大教授。1951年、岡山県生まれ。74年に旧自治省に入省。鳥取県総務部長、同省府県税課長などを経て、99年に鳥取県知事に初当選。2期8年間務め、改革派知事の一人と呼ばれた。2007年から現職。

<取材を終えて>
「妻を早くに亡くした複数の人から、『こういう時は仕事に没頭するのがいい』とアドバイスされました。確かに仕事中は妻のことを忘れている。薄情な男だな、とも思うんですよ」。その口調と同様に、理路整然と介護に向き合った片山さん。自身の意志の強さと家族の結束が、それを可能にしたのだろう。そして、政府の行政刷新会議のメンバーを務めるなど、最近の多忙ぶりに喪失感の大きさと、夫婦の絆(きずな)が深かったことを思った。
                                           (聞き手・中舘聡子)


      (平成21年12月13日 読売新聞 ケアノート)


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