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母の介護 家族の助けに感謝/認知症わからずゴメン

  トオジョオ・ミホさん「ケアノート」
             母の介護 家族の助けに感謝/認知症わからずゴメン
                              (読売新聞 平成21年11月8日)

漫画家のトオジョオ・ミホさん(52)は、母・鈴木つな子さん(87)の介護を続けて15年になります。介護疲れと心労で自らの入院も経験しました。「一生懸命やっていれば、手を差し伸べてくれる人が必ずいる」と話しています。

 15年前、母を迎えるために、私たち夫婦はアパートから横浜市内の戸建て住宅に引っ越しました。母を呼び寄せ、夫と私との同居が始まりました。女手一つできょうだい3人を育ててくれた母を尊敬していましたし、長女の自分が面倒を見るのが当然と思っていたからです。

ところが、同居を始めて4か月目、「『お母さんは家族じゃない』とダンナに言われた」と突然母が言い出しました。もちろん、夫はそんなことを言う人ではありません。 その後も、「私の話を信じないのか」「私をだまして連れて来た」などと、ことあるごとに言ってきます。言いがかりにしか聞こえず、けんかが絶えなくなりました。「引っ越しまでして迎え入れたのに、何が不満なんだ」という気持ちでした。


1年後、つな子さんは自分で申し込んだ高齢者向けマンションに移り住んだ。アルツハイマー型認知症の診断を受けたのは、その1年後だった。

 マンションに移って間もなく、突然母から電話がかかってきました。震える声で「病院からの帰り方がわからない」。それで慌てて迎えにいったのが最初です。その後も、「鍵がなくなった」「年金を盗まれた」と頻繁に私や妹を呼び出すようになりました。

認知症の診断を受けてからは、ヘルパーを頼んだり、デイサービスに通わせたりしましたが、他の利用者とけんかしたりして、なかなかなじんでくれず苦労しました。

母は離婚後、50代でマッサージ師の資格を取って独立し、生活保護費の受給を断りに自分から役所に出向くような気骨のある人です。それだけに、「お年寄り扱い」が嫌だったのかもしれません。

しかし、母からの呼び出しは増える一方。特に、漫画の締め切り間際は、相当な負担になりました。介護の方針を巡って妹との関係もギクシャクしてきて、過労に心労が重なり、ついにダウンしてしまいました。

気がつくと病院のベッド。2日間眠り続けていたそうです。結局、3か月入院することになり、そううつ病と診断されました。


入院している間、ケアマネジャーと妹が相談して、つな子さんは老人保健施設に入所した。

 退院後、施設へ母を訪ねると、別人のように穏やかでした。「認知症は、初期の混乱が収まれば、穏やかになる」とケアマネジャーさんから聞かされていましたが、あまりの変わりように驚きました。

ほどなくして、母が住んでいたマンションの部屋を片付けに行きました。そこで、私の顔だけペンで塗りつぶした家族写真を見つけました。

それを目の当たりにして、同居を始めた時の私に対する攻撃的な態度は、認知症の兆候だったのだと、気づかされました。一番近くで自分を支える人に対する攻撃性は認知症の症状のひとつです。

「この苦しみを取り除いてください」「子供たちが幸せに暮らせますように」と書かれたメモなどもありました。同居さえすれば幸せなはずだと私は思い込んでいましたが、母は自分が自分でなくなってしまう恐怖と、たった一人で闘っていたのです。「分かってあげられなくてごめんね」と心の中で何度も謝り、泣くしかありませんでした。


つな子さんは、複数の老健施設の滞在を繰り返した後、2001年に横浜市内の特別養護老人ホームに入所した。トオジョオさんは自宅とホームを往復する日々を送る。


 友人のアドバイスで、少しでも受け入れの可能性があるホームには、片っ端から手紙を書きました。それが目に留まったようです。待機者が大勢いる中で幸運でした。

母は4年前、転倒した際に頭を打ったことが原因の硬膜下血腫で、認知症が一気に進みました。今では私が娘であることもわからないようです。

でも、母も含めてホームに暮らす人たちに接していると、認知症とは、この世に生を受けた時のようなピュアな存在に近付いていく過程なのではないかと思えてきます。終わりに向かって、人生の記憶を穏やかに捨て去っていく彼女らと過ごしていると、とても癒やされるのです。

思えば、母を自宅に迎えた時から、振り回されっぱなしでした。

しかし、苦しんでいる時には、きょうだいや夫を始め、ケアマネジャーや友人らが必ず助けてくれました。それが今回の経験で一番大きなプレゼントだと感じています。先の見えない介護生活に不安を感じている人がいたら、「つらくても誰かが助けてくれる。あきらめないで」と言ってあげたいと思います。


トオジョオ・ミホ 漫画家。1957年、横浜市生まれ。1991年、「竹夫人」で、講談社ミスターマガジンコミック大賞。95年ごろから東南アジアの旅をテーマにしたエッセー風の漫画を描く。2007年、介護体験を描いた漫画「ママは認知症(ボケ)てもお姫様」をアスペクト社から刊行した。

<取材を終えて>
トオジョオさんが、つな子さんの下着を洗ってくれた夫に感謝したら、「洗ったのは僕じゃなくて洗濯機」という言葉が返ってきたそうだ。冗談めかした切り返しに思いやりがにじむ。介護を巡ってバラバラになる家族もあれば、一つにまとまる家族もある。その差がどこから生まれるのかと言えば、小さな協力だったり、さりげない一言だったりするのかもしれない。逆境をくぐり抜けたトオジョオさんの話にそう思った。

                                           (聞き手・赤池泰斗)


      (平成21年11月8日 読売新聞 ケアノート)


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